TSUTAYAで、直感的に手に取った映画。予想以上に、ビビッドで美しい映像と、たいしたことのないストーリー。それでもこの映像美は一見の価値がある。プラハ城、コロッセオ、タージ・マハル、ファテブル・シークリー、アーグラ城、ニコバル諸島、アンコールワット、万里の長城、トワイフェルフォンテイン、ピラミッド、エッフェル塔といった世界遺産でロケをしており、夢か幻想のような現実の映像が次々と登場する。
↓幾何学的な構造物と蠢く人は夢に出てきそうだ。


TSUTAYAで、直感的に手に取った映画。予想以上に、ビビッドで美しい映像と、たいしたことのないストーリー。それでもこの映像美は一見の価値がある。プラハ城、コロッセオ、タージ・マハル、ファテブル・シークリー、アーグラ城、ニコバル諸島、アンコールワット、万里の長城、トワイフェルフォンテイン、ピラミッド、エッフェル塔といった世界遺産でロケをしており、夢か幻想のような現実の映像が次々と登場する。
↓幾何学的な構造物と蠢く人は夢に出てきそうだ。


久しぶりにいい映画を観た。映画館で映画を見るのは何年ぶりだろう。
昨日封切になったばかりの「シリアの花嫁」、神保町の岩波ホール。行ってみたらなんとも小さな劇場だったが、久しぶりにいい映画館の雰囲気だ。
重い腰を上げて映画館に行こうと思ったのは、自分の生まれた国を舞台にしているということもあるけれど、ニュースなどでしばしば取り上げられるイスラエルに占領されたゴラン高原、分断された家族が拡声器で連絡を取り合っている、まさにその場所を舞台にした映画であることに興味を覚えたからだった。
この地に住む人々は、なんと無国籍である。主人公のモナもそんな無国籍人の一人。結婚を機に境界を越えてシリア側に行く。一度境界を越えてしまったら、国交がないため二度と戻れない、すなわち結婚は家族との離別でもあるのだ。映画は淡々とその結婚式の一日を描いていく。
しかし、単純にシリアとイスラエルの関係だけで描かれているのではない。海外に渡った兄弟やその嫁のロシア人、国連のフランス人、と様々なな文化的背景の人々が登場しアラビア語、英語、ロシア語、ヘブライ語が飛び交う。その分だけ境界があるのである。また、境界は地理的、文化的なものだけではなく、新と旧、世代の中にもまたあるのである。境界は、時に対立を生み、それを乗り越えて融和も生まれる。
考えれば考えるほど、深い見方ができる映画で、限られた時間に様々な要素を入れ込めたなと思う。それだけスクリプトがしっかりしているということだろう。
国境上でのやり取りはコミカルですらあり、それは人間の生活を身勝手な都合で分断してしまう国家というものに対する風刺でもあったりする。ここら辺は、同じ国境上のやり取りを描いた映画「ノーマンズランド」にも通じるところがある。もっとも「ノーマンズランド」は、無力な国連に対する皮肉が強かった記憶があるけれど。
日本にいると、こうした信じられないような境遇にある人々がいることを忘れてしまう。
昨年シリアに行ったときに、ダマスカスで夕涼みをしていると、声をかけて来たのはみなクルド人であった。ゴラン高原の人たちとはまた違うけれど、彼らもまた国境に分断され、不安定な境遇にある人々で、それだけに外国人と話すことで、その境遇を世界に対してアピールしたいようであった。
製作は、イスラエル、フランス、ドイツの合作。監督はイスラエル人である。シリア側の立場で見れば、最後に寛容さをイスラエル側がみせた様に描いているところが、納得できないところかもしれないが、イスラエルの狡猾さも描いているし、それなりにフェアに描かれていると思う。
国際的にも多くの賞を取っているこの映画が、日本で本格上映されるまで約5年もかかったとはいったいどういうことだろう。
映画全体を通して、人々に対する暖かい視線、人間に対する信頼を棄てきっていない、ささやかな希望のようなものを感じた。
カリーマ先生がコメントしている動画

バックパッカーでも使えるガイドブック
ベトナムには独特の美意識と陶酔がある。そのことを感じたのは、この映画を初めて見たときのことであった。これをきっかけにベトナムに興味を持ったのか、ベトナムに興味があって見たのかすら覚えていないが、我ながら、高校生でこんな映画をよく見ていたものだと思う。当時見たときは、パパイヤの葉などの緑と柱や家具の朱色のビビッドさが印象的に残っていたが、改めて見てみると、意外と当時の印象からすればクラシックな撮り方をしているなぁと感じた。多くは、健気に働くムイに感情移入してしまうのだろう。悪餓鬼訳の子も、いかにもいたずら坊主という顔立ちでなかなかいいキャラをしている。子供のころから描いていると、成長した姿のギャップに違和感を覚えるものだが、配役がそれを感じさせないところにもこの映画のうまさがあったのだと思う。
Story
舞台は1951年のサイゴン。とある一家に使用人として雇われてきた10才のあどけない美少女ムイの目を通して、家族の喜びや悲しみ、そしてムイ自身の初恋や淡い官能の目覚めが息をのむほど流麗なキャメラに写し撮られていく。そこにはベトナムで生まれパリで育ったユン監督の思い描く理想のアジア、そして女性の姿が反映しているのかも知れない。 (詳細はこちら)
ようやく24のシーズンⅤを見終わった。
毎度思うことだが、scriptがしっかりしているということはこんなにすごいのかということを思い知らされる。登場人物が入れ替わり立ち代り出てくる作品というのは、外国人には人物を混同しがちでなかなか受け入れられないことが多いというのに、人種や体格といったものをフルに使ってキャラクタを明確化している点、思わせぶりなカメラワークで視聴者の関心を惹きつけておいて登板させるテクニックで、無理なくついていけるようになっている。
シーズンⅥも今から楽しみだが、初回の脅威が核弾頭だったわけで、次から次にそれを超える脅威を考えるのも大変だろう。北朝鮮が核実験をしたことで、次作かその次あたりは、北朝鮮を現実的な脅威として描いていく可能性もあるのではなかろうか。
レンタルDVDも解禁され、セルDVDも発売を控えているが、US版のiTune Storeでも買えるようである。無論、吹き替えも字幕もつかないが、1話2ドル程度とリーズナブル。現在のところ英語の字幕を確認したいので、DVD で見ているけれど、Season 6は待ちきれずにオンライン購入してしまうかも。海外のドラマも時差を感じずに見られるようになるというのは、なんともありがたいことです。
W杯にも出場中のボスニア・ヘルツェゴビナ。そのボスニア・ヘルツェゴビナのなんとも映画らしい映画。
タイトルが、ロベルト・ベニーニ監督の"Life is beautiful"を思わせるので、どうかなと思ったが、絵画のような風景と、動物、キャラクターの立った登場人物。実写なのにファンタジー映画のようなフアフアした感じ。
すっかり東欧に行きたくなってしまった。
チュニジアで、「コンニチワ」と日本語で話しかけてきた会った女の子たちは、「何処から来たの?」と聞いたら、「ボスニア!」って言ってたっけ。

所有することの優越感!
ずっと見ずに放っておいたDVDを見た。
ウォン・カーウァイというと、僕が見たのは大学生になってからだ。
予備校に通ったときに、女の子が講師がウォン・カーウァイの「天使の涙」と「恋する惑星」を絶賛していたというのが、なぜか頭に残っていて、その当時は見なかったが、後になってビデオで見たものだ。そして、あのビビッドで猥雑な感じに嵌った。
最近の作品だと「2046」なんかも見たが、ビビッドではあるけれど、あの猥雑さが上品さにとって変わられてしまったような気がする。この作品は、その狭間にあるといえるかもしれない。香港の猥雑な裏通りは健在だが、マギー・チャンは上品にまとまっている。見る順番が逆になってしまったが、「2046」への伏線もしっかり張ってあった。
最近いろいろなことがつながっている。この作品のことは予備知識なく見たのだが、この前行ったアンコールワットも少し出てくる(あまりに脈絡のない短いシーンだったので、これも今後の作品の伏線かと思ってしまう)。また、この前見た台湾映画「悲情城市」とこれから見ようと思っているベトナム映画「「シクロ」に出ているトニー・レオンが出ている。

私たちは台湾のことを知らなすぎた。
静かな悲しみと怒り
アジア映画を見るきっかけ
GWに訪れた九イ分でロケを行ったという映画。九イ分のシーンは思ったより少なかったが、それでもこれはあの辺りだなというのがよくわかった。
日常の中国語に日本語が混じったり、上海人と台湾人が広東人の通訳を介して話すシーンがあったりと、興味深い。
映画は日本の玉音放送から始まり、次第に対立を深めていく台湾と中国の様子を描く。日本に対してはかなり好意的に書かれているのが印象的。